清水建設の歴史
今日は建設業界の本を読み清水建設の歴史が印象的でした。簡単にご説明させて頂きます。興味がある方は是非、目を通してください。
老舗塗装店や業界最大手の塗料メーカも支えてきた清水建設の歴史に迫りたいと思います。
創業は1804年(文化元年)。富山出身の初代清水喜助が江戸神田に大工店を開業したのがはじまりといわれ、歴史としては非常に古い。
そして、2代目の喜助は開国とともに横浜に進出し、いち早く西洋の建設技術を習得したそうです。なかでも築地居留地に建てた西洋式の築地ホテル館は棟梁の枠を超えており、2代目喜助の名を広く世間に高めた仕事であったそうですま当時の建設工事は、開国して間もないためか、工事のをめぐって外国人とのトラブルがあちらっ此方で絶えなかったみたいで、幕府の外国奉公所は、対策として信用のおける優良建設業者の選定を行い、清水方をその一人に選んでいる。この信用は明治政府になっても失われず、1874年(明治7年)には神奈川県営繕課定式請負人の一人として指名され、県庁の仕事や、あわせて外国商館などにも手を広げている。
ちなみに、神奈川県が定式請負人として選んだのはわずか3人で、ほかに高島嘉右衛門と、なんと鹿島の創業者である鹿島岩吉の名前があった。鹿島との浅からぬ因縁はすでにこの時から始まっており、その関係は100年以上の時が過ぎても続いている、総合建設業として我々塗装店や大手塗料メーカーへの影響力はいうまでもないが、一職人から地道に頂点を極めた清水建設、どこの会社も最初があり、その努力の結晶が日本の三本の指に入るまでになったのだと思います。